SRMの気まぐれブログ

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ツイ廃がTwitterから一旦離れると決めた今の心境

周りの人の存在というのは、良い影響をもたらすこともあるし、悪い影響をもたらすこともある。僕はいわゆるツイ廃というもので、常にTwitterに張り付いているような人間だ。しかし最近、色々あって(詳細話すと棘になりかねないのでぼやかす)あまりよろしくない思考(これもはっきり言うと怒られかねないのでぼやかす)をし始めてしまった。これでは良くない、ということで、人々の情報がかなり入ってくるTwitterから一旦離れようと決めたのである。まあ近々フォロワーさん数名と一緒におでかけするイベントがあるのでその時には戻るつもりだが。

 

で、まだTwitterから離れると決めて数時間だが、今まで常に張り付いていただけあって、既にかなりの時間がたったようにすら思える。さらに言えば、一旦Twitterが無いという状況になったことで、心のもちように変化が表れているところがある。ということで、今のその心の内をこんな誰も見ていないであろうブログに一方的に吐き出して差し上げようというわけだ。原因となるあたりを知ってる人には数か月くらい先まで見つからないことを祈るばかりだが()

 

まずTwitterから離れることにした瞬間、自分がいかにリアルの人間と交流していなかったかを体感することとなった。そう、一気に孤独になったのである。文字通り、周りに誰もいなくなったような感覚だ。この状態に対して僕は最初一瞬「寂しい」と思った。自分が一匹狼でいるつもりだっただけに、こう思った自分にかなり驚いた。そうか、僕は1人のつもりだったけど、いつも周りには人がいたんだな、と。何かをツイートすれば誰かが反応する。逆に周りの人々が色々なツイートをしてくる。何となくTwitterを開けば、そこには誰かがいたのだ。しかし、今一旦Twitterから離れることにしたが故に、必ず誰かがいる場所に発言をすることもなく、逆に何もしなくても人々の発言が入ってくることもないのだ。このことが最初は一気に大きなものを失ったように思わせるのだ。

 

しかし、少し時間が経つと、だんだんと寂しさよりも自由を強く感じるようになってくるのである。他の人と比べる必要がない、自分が何かしても周りから何も言われない、そんな状況なのだから。後者についてはそもそもやったことを公開しなければ良いと思われるかもしれないが、前者がある故に自然と自分も自分の事を呟いてしまうのである。ツイ廃だからね。逆に呟かなかったとしても、Twitterにいる限り、自分の存在はTwitter世界の中にあるのだ。だから人の、というかフォロワーの視線を勝手に感じてしまう。それが離れてみてどうだろう。文字通りに、誰も僕のことを見ない。何をしたって、馬鹿にされるかもとか思う必要がなくなる。実際今、Twitterに張り付いていた時に「やりたいけどその経過を公開したら馬鹿にされるんだろうな」と思っていたことを少しやる気になれている所がある。やったら得にしかならないしやろうかな。

 

ただ、今は自由を感じられているが、もうちょっと経ったら承認欲求が今度は出てくるかもしれないと考えている。そうなった時、周りに人が居なければそれを満たすことなどできない。そこで一番手っ取り早いのはやっぱりTwitterになってしまうのだろう。一番気軽に人々が発言しているのだから。いや、そうなったらゲームか動画でも作ってfreem!なりYoutubeなりに上げようかな。誰かは反応してくれるっしょ。

 

さて色々吐き出してるうちにもう吐き出すことがなくなってきたな。これ以上無理に文量を増やす必要もないしこの辺にしておくか。本当に勢いだけで書きなぐった文章だからかなり言葉が変かもしれないけど、それも含めて今の心境ってことで。