仕事場のプライベート空間化について
ちょっと長文を書きたくなったんだ。長文を読みたくなった人はぜひこの文章に付き合ってくれ。
ようやっと卒研発表が終わって、あとは卒論がacceptされれば無事卒業な僕。「さっさと現場でエンジニアとしての経験を積みたい」なんてほざいて院進しないことにしたので、割と内容としてはまだまだ伸びしろのある研究だったが、ここで打ち切ることとなる。理論系って物が動かないからおもしろくないなんて思ってたのに、いざ首突っ込んでみるとこの理論を考えるのが楽しいんですわ。ちょっと名残惜しいが仕方ない。後の人々よ、この研究を完成させてくれ。
さて本題に入ろう。僕は今寮で一人暮らししている身なのだが、あまりにも寮だと作業が進まないタイプの人間なのである。だから研究を進めたりする時は基本研究室に来ていた。その方がホワイトボードも使えるし、モニターを1枚増やせるので、作業効率が上がる。しかも「家の外」ということで気持ちを切り替えられるので、仕事モードになれるのも良い点である。
ただ、研究室があるキャンパスは山の上。通うには億劫だったので、基本的に進捗報告の前日に来て、そのまま泊まり込みで作業をして午前の進捗報告に臨むようなルーティーンが出来上がっていた。研究室の中には3人がけのソファがあるので、仮眠を取りたいと思えばすぐに取れる環境であった。横になって眠れるってだけで人権あるよなぁ。
まあそんな感じで週一くらいの頻度で研究室に泊まったりしていたのだが、卒研発表前1週間についてはほぼ毎日研究室に泊まっていた。というのも、進捗報告にあたる発表練習が1日おきに3回あったのである。そりゃずっと作業することになるわな、って話で。
先述した通り、研究室の中にはベッドにあたる3人がけソファがあるので、寝る環境としては人権がある。それに加え、冷蔵庫、電子レンジ、流しがある上に、数百m圏内にコンビニだってあるので、食べるものには困らない。さらにポットには常に保温しっぱなしのお湯もあるので、飲みたいと思えばすぐにドリップコーヒーを入れることも可能だ。故に、シャワーさえあればもう住めるのである。
ということで、ここ1週間は着替え目的のためだけに寮に行っていたようなもので、1日のほとんどを研究室で過ごしていた。もはや、研究室の方が家である。
さてここでタイトル回収。研究室にいる時間の比率が大きくなった結果、研究室が「デフォルトの居場所」となってしまったのである。昼に来るだけならまだしも、夜にも泊まってたらもはや家だと錯覚してしまう。その結果、研究室に来る目的の一つである「仕事モード」が発動しづらくなってしまったのである。
実際、休憩時間の比率は高くなってしまったと思う。仕事場としての緊張感が失われたので、だらーっとしてしまった。これは、作業場として使うにはあまり良くない話だと僕は思った。もし今研究室やオフィスへの泊まり込みが続いて、場所に対する緊張感が無くなってきている人がいるなら、一旦初心に還ってほしい。いずれそこが「家」となり、「作業をする場所」ではなくなってしまうから。
さて僕は春から社会人になる。入社後数年はオフィスに通うつもりをしているが、いずれ完全にリモートワークとなるだろう。リモートワークとなった時、家兼仕事場というのはまさにこの研究室のようなものであるのだろうか?また、1週間でこのような状態になるのなら、何年も自室でリモートワークしていたらどうなるのだろうか?この研究室での経験を活かしながら、作業環境を整えていければと思う。
…なんて長文は発表が終わった余韻に浸りながら朝4時まで夜更かしして書くものじゃないね。
気まぐれドライブin奈良まとめ~12/26のSRMに関する真実~
ども、最近闇落ちしかけております。SRMと申します。そろそろ時効かなと思ったのでついにこの記事を公開。
僕のTwitterを見ている方はご存じの通り、僕は年末に1週間ほどの旅行をしておりました。この旅のメインは12/24~12/27に開催された「冬の関西おでかけSP」に参加することだったのですが、僕は26日の参加を25日になってドタキャンしました。本当は参加するつもりでいたんですけどね。
さてこのドタキャン、表向きには「卒研の進捗報告(28日)に持っていける進捗が無いから進めなくてはならないので」と言って離脱したんですが、そもそも僕が卒研を理由におでかけイベントを切るわけないでしょう。本当に進捗がまずいとしても、おでかけイベントに参加した上で宿で徹夜して進めてるはずですからね。
ではなぜ離脱したのか。本当の理由は話すとかなーり長くなりますし、あまり良い理由ではないので割愛します。まあ察してください(めんどくさい女風)。
この理由の詳細もあって本当は旅行の全日程をまとめる記事にするつもりだったのですが、長くなりすぎたのと、記事を書く理由を考えた時にこの日の話だけすれば良いと判断したのとでこのような形になりました。この記事に書くことは当日Twitterサークル内で呟いていたものなので、そこで見ていた方は同じ内容になりますとだけ。
では前置きが長くなりましたが、僕がおでかけSPを離脱して26日にどこへ行っていたのかをこの記事に書いていきます。
車を借りてました
はい。この日は朝10時に山科の快活CLUBを出て、そのままタイムズの車に乗り込んでました。初手から卒研進める気なくて草。
目的地はGoogleマップで大きめに出ていたので「吉野熊野国立公園」ということにしてました。
道の駅針テラス
道の駅って見つけると入りたくなるよね。ということで道の駅針テラスに行きました。ちょうどお昼ご飯に良い時間帯だったので、ここで1人焼肉をしました。美味かった。
あと本当は温泉があったので入ろうとしたのですが、この時開いてないっぽかったので諦めました。
道の駅宇陀路大宇陀
道の駅って見つけると入りたくなるよね。ということで道の駅宇陀路大宇陀にも寄りました。道の駅に入るとすぐに足湯を見つけたので即ダイブ。
とても気持ち良い。タオルを忘れたので出てから靴下を履くまではほぼ自然乾燥で乗り切りました。
そして売店でデザートがてらソフトクリームを食べました。
これもまた美味かった。特にブルーベリーが濃くしっかりブルーベリーしてたのが良かった。
津風呂ダム
本当は吉野熊野国立公園に行くつもりだったのですが、別に絶対ではなかったので「おもしろそう!」の一言で看板を見つけたダムの方へ。年末とはいえ平日ではあるのでほとんど人がいなく、とても静かで、景色も良くて荒んでいた心が洗われました。
結構曇っていたのですが、切れ間から日が差し込んでいい感じに(語彙力)。この辺、精神が小学生なので探索し甲斐のある場所でした。
階段があるなーと思っていたら通信設備があったり。
苔の生えたベンチとか廃墟感あってこれもまた良い。
DEATH☆ドライブin津風呂湖
ワイ「死ぬ」
この場所、車のカーナビには道として登録されていたのですが、Googleマップは道と認識してなかったんですよね。本当に通って大丈夫だったのか疑問なところはある。対向車1台も来なくて良かった…。
しかしこの道、かなり景色が良い。
今思うとここ歩道だったかもしれないのですが、それに気づいたのが入ってしばらく経ってからだったので突っ切る他なかったという言い訳だけ。また来るなら今度は歩いてゆっくり見たいですね。でも野生の鹿何匹か見たから歩きなら危なかったかなぁ…。
一般道へ帰還
対向車来たら死ぬような道を10km程進み、片側1車線の一般的な道路に戻ってきた時には心が感動と達成感で溢れてました(?)そして写真からお察しの通り、死ぬような道を抜けたころには日が沈み真っ暗になってました。目的地を決めるために一旦車を停めたところに何かイルミネーションがいたので撮っておきました()
わあ綺麗。
大宇陀温泉あきののゆ
やっぱり温泉は外せない、ということで開いてる温泉を検索した結果、先に寄っていた2つ目の道の駅近くまで戻ることに。ここでまず晩御飯を食べました。リッチにローストビーフ丼。
その後温泉へ。緊張感のある運転をした後の温泉は心身に染みるねぇ!!露天風呂から星が見え…曇りだったから満天の星空とはなりませんでしたが、まあキラッ、くらいは…。
持尾展望台
夜と言えば夜景!ということで、適当な展望台を探して行先を決めました。遠目に大阪市街を一望できました。
夜景って写真だと伝わりませんね…。
そして同じところに停めていた車を見るに、この近辺車乗りの走り場なのかなぁという感じでした。確かに走ってきたところいい感じの山道だったなぁ()
そして宿(?)へ
奈良県の方にちょっと戻ると、ある程度広さのある道の駅があったので、ここで寝ました。本当は山登りして頂上で日の出を見る、ということをしたかったのですが、時間と疲れの関係で断念することに…。
そして朝はギリギリまで寝て、渋滞に巻き込まれながら山科に車を返しに行きました。そして27日のおでかけSPに合流した、というわけです。
以上、諸事情により(というか明らかに)リアルタイムでツイート公開出来なかった旅行記でございました。我ながらやりたい放題していらっしゃる。
ツイ廃がTwitterから一旦離れると決めた今の心境
周りの人の存在というのは、良い影響をもたらすこともあるし、悪い影響をもたらすこともある。僕はいわゆるツイ廃というもので、常にTwitterに張り付いているような人間だ。しかし最近、色々あって(詳細話すと棘になりかねないのでぼやかす)あまりよろしくない思考(これもはっきり言うと怒られかねないのでぼやかす)をし始めてしまった。これでは良くない、ということで、人々の情報がかなり入ってくるTwitterから一旦離れようと決めたのである。まあ近々フォロワーさん数名と一緒におでかけするイベントがあるのでその時には戻るつもりだが。
で、まだTwitterから離れると決めて数時間だが、今まで常に張り付いていただけあって、既にかなりの時間がたったようにすら思える。さらに言えば、一旦Twitterが無いという状況になったことで、心のもちように変化が表れているところがある。ということで、今のその心の内をこんな誰も見ていないであろうブログに一方的に吐き出して差し上げようというわけだ。原因となるあたりを知ってる人には数か月くらい先まで見つからないことを祈るばかりだが()
まずTwitterから離れることにした瞬間、自分がいかにリアルの人間と交流していなかったかを体感することとなった。そう、一気に孤独になったのである。文字通り、周りに誰もいなくなったような感覚だ。この状態に対して僕は最初一瞬「寂しい」と思った。自分が一匹狼でいるつもりだっただけに、こう思った自分にかなり驚いた。そうか、僕は1人のつもりだったけど、いつも周りには人がいたんだな、と。何かをツイートすれば誰かが反応する。逆に周りの人々が色々なツイートをしてくる。何となくTwitterを開けば、そこには誰かがいたのだ。しかし、今一旦Twitterから離れることにしたが故に、必ず誰かがいる場所に発言をすることもなく、逆に何もしなくても人々の発言が入ってくることもないのだ。このことが最初は一気に大きなものを失ったように思わせるのだ。
しかし、少し時間が経つと、だんだんと寂しさよりも自由を強く感じるようになってくるのである。他の人と比べる必要がない、自分が何かしても周りから何も言われない、そんな状況なのだから。後者についてはそもそもやったことを公開しなければ良いと思われるかもしれないが、前者がある故に自然と自分も自分の事を呟いてしまうのである。ツイ廃だからね。逆に呟かなかったとしても、Twitterにいる限り、自分の存在はTwitter世界の中にあるのだ。だから人の、というかフォロワーの視線を勝手に感じてしまう。それが離れてみてどうだろう。文字通りに、誰も僕のことを見ない。何をしたって、馬鹿にされるかもとか思う必要がなくなる。実際今、Twitterに張り付いていた時に「やりたいけどその経過を公開したら馬鹿にされるんだろうな」と思っていたことを少しやる気になれている所がある。やったら得にしかならないしやろうかな。
ただ、今は自由を感じられているが、もうちょっと経ったら承認欲求が今度は出てくるかもしれないと考えている。そうなった時、周りに人が居なければそれを満たすことなどできない。そこで一番手っ取り早いのはやっぱりTwitterになってしまうのだろう。一番気軽に人々が発言しているのだから。いや、そうなったらゲームか動画でも作ってfreem!なりYoutubeなりに上げようかな。誰かは反応してくれるっしょ。
さて色々吐き出してるうちにもう吐き出すことがなくなってきたな。これ以上無理に文量を増やす必要もないしこの辺にしておくか。本当に勢いだけで書きなぐった文章だからかなり言葉が変かもしれないけど、それも含めて今の心境ってことで。
年変わってから就活始めたけど内々定貰えたよ
報告はタイトルの通りです。これで卒研に集中できる。
というわけでどのように就活していたかを書き残しておこうと思う。もしかしたら大学が同じか同レベルの人の参考になるかもしれないし、ならないかもしれない。「気まぐれ」ブログなんだから投稿内容も頻度も自由にさせてくれ。多少文章が変でも致命的じゃなければ突っ込まないでくれ。
SRMの経歴
「大学が同じか同レベル」ってどれくらいだよ、とならないように最初に書いておきます。まず結論、僕は東北大学の学部生です。正確には高専から東北大学に編入して、そのまま学部で就職ルートに進んだ人です。僕の編入について詳しく知りたい人はおふざけ8割で書いた編入体験記でも読んでください。
進学は考えなかったの?
研究第一とか言ってる大学ですし、まあ普通なら大学院まで行きますよねぇ。実際進学率9割とか言ってますし、周りの同学年で就職するって人をほとんど見ない。そんな中就職にしたのは、院卒になっても就職先の幅変わらないんじゃね、って思ったからです。まあ研究職とか就くなら院進必須でしょうけど、僕はただICTエンジニアになりたいだけの人なので。しかもエンジニアって、なってしまえば学歴より実力だと思うので、だったらさっさと就職して実戦経験積みたいな、と。てことで院進しないことにしました。え?じゃあ高専から就職すればよかったんじゃないのかって?正直高専から編入するか就職するかはかなり迷いましたよ?でもね、大卒が当たり前みたいな社会で、さらに当時ふと見た転職サイトの求人の条件に「大卒」とか書いてたら「とりあえず大卒にならなきゃ」と思うわけですよ。てことでフィルターにかからないくらいの大学に行こうというわけで編入したんですねぇ。とまあ話が逸れましたが、大卒ならこの先のキャリアには十分な学歴だろうというわけです。
年変わる前まで何もしてなかったの?
大学に入ってからは何もしてませんでした、というのが正しいかもしれません。実際、大学三年生でインターンには行きませんでしたし。でも高専の時は研修内容が興味に被っていたこともありT社にインターン行ってました。就活関連でやってたのはこれくらいですかね。あ、一応企業説明会というか業界研究的なのに参加はした気がしますが、内容ほとんど頭から抜けました()
志望先決定(1月)
まず大学に「どの企業を第一志望にするか」を申告しなくてはいけません。ですが、僕はやりたいことさえ出来ればどの企業でも、みたいなところがあったので、選択肢を増やさないために学校に来ていた求人から志望先を選ぶことにしました。そこでB社、N社、I社を候補としてあげました。候補として挙げた時に思っていたのは
B社…会社の規模はそんなに大きくなさそうだが、僕がやりたいことの業務しかやっていないので確実にそれは出来るだろうな
N社…確実に行きたい部署に行けるような気はしないが、確実に強い人はいそう。あと大企業だし安定してそう。
I社…僕がやりたい業務を前面に押し出してはいないので第一志望ではないかな。でも大まかに見れば方向は合ってる
でしたね。ということで本当ならB社を第一志望にしていたと思うのですが、学校推薦が無かった…。学校推薦パワーは欲しいのでN社を第一志望に。B社とI社も受けて、N社落ちたら受かったほうに行こう、という方針でN社に学校推薦出してもらいました。
ワークショップに参加したりなど(2月)
N社とI社のサイトにまずは登録。B社は特にそういったものがありませんでした。さてあとはエントリー解禁を待つのみ…と思っていた矢先、N社からワークショップのお知らせが届きました。しかもちょうど僕が行きたい部署の。これは行かないわけがない、ということで早速応募し、参加しました。ここでN社のその部署がどんなことをしているのか話を聞けたのは大きかったと思います。そして、N社とI社は会社説明会があったので参加。特にI社は説明会参加がエントリーの条件でした。ここで各社の強みをメモっておいたのは過去の自分GJ。というのも、ESや面接に使えるので☆
エントリー
N社は学校推薦だったので、OBのアドバイザーがいました。そのため、アドバイザーの方に添削をしてもらいながらESを提出しました。I社は一切人に見せることなく自分1人でES書いて提出しました。いずれも、エントリーページからフォームに記載して提出、という形でした。
さてESを提出したら次は適性試験です。適性試験は、おおまかに学力(といっても中学生でも解けるくらい)と性格を調査するものです。高専生や大学生でジェネリックテスト(リテラシー、コンピテンシー)とかいうやつを受けた人、まんまあれみたいなものです。先に練習がてらI社の適性試験を受けました。普通に時間制限内に全て解けたので、N社の適性試験もそのまま受けに行きました。が、N社の学力系のやつは時間内に8割くらいしか進まなかった…。これから適性試験受ける人にアドバイスするなら以下の通りですかね。
- 一応どんな問題が出るかはあらかじめ調べておいた方が良い。点Pは動かなかったけど時間差で家を出る兄弟とかはいる。急に出てくると意外と焦る。
- 四字熟語は最低限勉強しとけ。
- 焦らず落ち着いて解け。時間気にしすぎて焦ると解けるものも解けない。
- 性格の試験は解答に一貫性を持たせた方が良いと思う(コンピテンシーテストを受けた時の所感。似たようなことを言葉変えて聞いてくるので、そこで同じような選択肢を選ぶのが良い。実際そうしたらスコア上がった。)
そしてN社は1分間の自己PR動画の提出が求められました。原稿作って噛まないように1分間カメラ目線で原稿見ずにしゃべって…。1分間の動画なのに、噛まずに詰まらずに全文喋れるまでに1時間以上かかりました。何回リテイクしたかな☆しかし撮った動画を確認すると数秒はみ出ているではないか。しかも1分を超えた分はカットされるって…。普通ならさらに撮り直すところですが、なんと締め切りギリギリ。ここからリテイクして成功する保証もない…。さて同じ状況になるかもしれない就活生のために僕がここからどう切り抜けたかを紹介しよう。
- 撮った動画をAviUtlにぶち込む
- 動画が縦向き指定だったので、パソコンで撮って横向きになっていた動画の両端を削って横の長さ<縦の長さに
- 何故か音声がずれていたので調整
- 一旦出力
- ここで出力された動画を再度AviUtlに
- 動画の最初と最後、声が入っていない部分を不自然にならない程度にカット
- しかし数フレームまだはみ出ていたので、再生速度をちょっと早める
- 一応不自然に声が高くなっていないことを確認したら完成!
つまり何が言いたいかというと、こんなことしなくてもいいように良い子のみんなは余裕をもって提出物を作成しようねってこと☆さてこれでN社とI社はエントリー終了!面接の案内待ちになります。
面接
まず先にI社の面接がありました。1次面接は聞かれたことに素直に答えて会話成立させてたら通過できました。2次面接は技術職マネージャーとか言ってたので過去に制作したものとか聞かれるかなーとか思ってましたがそんなこともなく、ESに書いてた話は会社に生かせそうなマインド~とかそんな感じでした。通過しました。3次面接は面接日より前にN社から内々定が出たので辞退しました。
そしてN社の面接。こちらはOBの方々と何回か練習した上で臨みました。が、用意していた自己紹介や志望動機を語れって感じで言われることはなく、最初にされた質問に答えたらそれを掘り下げていく感じでした。結構回答に詰まったりはしたのですが、何とか無回答にはならないようにしました。終わって「死んだ」と思っていたのですが、数日後に電話で内々定と言われたのでかなりほっとしました。
え、B社はどうしたのかって?求人は出たけど応募する前に内々定出たので見なかったことにしましたよ?
てなわけで就活をブログ化しました。仮にも情報系の人間ですがコーディングテストとかの類は一切ありませんでした。まあ即戦力にはなれない人材っすね。文量があれなのでないようがかなりぼんやりしてますが、またあとで面接に使った材料一覧を記事にして差し上げようと思っています。乞うご期待。
つまり何が言いたいかというと、1月、2月あたりにこのブログを読んでいるそこのあなたは「今さら…」とか言ってないで動けってことです。まだ間に合います。I社みたいに、会社説明会がエントリーの条件だったりする企業もありますからね!こういうのは逃したらもったいない。そして春~秋にこのブログを読んでいる来春に就活のあなたは、どんな業務をやりたいかざっくり決めておいて、それをやっているような企業を比較しておいてください。僕が面接とかESで一番苦労したのは「なぜこの会社?」といった部分だったので。とまあありきたりなこと言って〆るしょうもないブログですが、気まぐれなので許してねん☆
普段全然歩かない奴が急に60km歩くとこうなる
記事が自己紹介だけになるのもあれだったので最悪今後1度も開くことが無くても救われるように1つ記事を書いておこうかと。要は保険ですね。
てことで先日60km歩きました。6kmの間違いじゃないですよ?60kmですよ?Googleの履歴だって残ってます。
ちなみに僕は普段自転車移動マンなので必要最低限にしか歩くことはないです。つまり全くと言っていいほど徒歩慣れしていないです。
それなのになぜ60kmも歩こうと思ったのか。そう、流行に乗ってしまう人間だからですね。Twitterでよく絡む人々の中で、徒歩50kmで1単位的な風潮があるのですよ。ということで僕も50km歩いてみようかなってね。
さて仙台から50km歩くならどこが良いかなと。場所を考えつつ同行者を募っていた時、同行を申し出ていてくれた方から「石巻か相馬だと電車エスケープも可能で道が平坦」との情報を。同行者に迷惑をかけたくなかったので、この時点では2つのうち比較的距離が短い石巻にしとく予定でした。ちなみに石巻なら47kmくらいだったと思います。
しかし同行者と予定が合わず、結局一人での挑戦となりました。正直石巻はよく行く場所なので、せっかく徒歩するなら一人になっちゃったし無茶するか、と。そんなわけで行先を相馬にすることにしました。ついでに言うと徒歩の後に温泉入ったら気持ちよさそうだなということで、最終目的地を温泉にしてました。
で、地図を見るじゃないですか。名取を通るんですね。そう、名取と言えば仙台高専名取キャンパス。秋田ですが高専出身の僕としては全国の高専が聖地。ということでせっかくなら寄り道してやろうということで、経由地に追加しました。どうせ2kmしか変わらないし~と言いながらね。この2kmが誤差のレベルではないということはこの時は思ってもおらず…。
ということでここからが記事の本題です。実際に歩いてみた感想を書いていきます。
現住居の前です。時刻は朝4時半。60kmくらいならきっと12時間プラスアルファで歩けるだろうということで、温泉の営業時間との兼ね合いでこの時間の出発です。
出発から1時間ほどで空が少し明るくなってきました。
歩きながら撮ったので画像がブレていますね。このくらいの夜明けが結構好きです。このあたりではまだ全然苦痛に感じません。楽しいです。
橋の上とかってどうあがいてもちょっと高台なので景色が良いんですよね。と、言えるほどまだ余裕があります。この時点で2時間は経ってた気がします。足の裏が擦れそうな予感がこの当たりからしていましたが、まだ歩けます。
そして出発から3時間…
仙台高専名取キャンパスに到着しました!!!
しっかり校門前まで行ってきました。割と坂が急だね。この時点で15kmほどです。ちょっと歩いてみようって人はこれくらいでも十分達成感は得られると思います。足を壊さないのはこの辺りまでなので。
さて残り45kmほどです。腹が減っては何とやら、ということでちょっと歩いたところで見つけたパン屋に入りました。朝早くから開いていてよかった。パンセという店です。
お腹いっぱい食べました。どのパンもおいしかった(小並感)。この時座ってパン食べてたのですが立った瞬間足の裏が痛かったです。
さてそろそろ4号線、というところで踏切に捕まりました。
この電車に乗れば目的地まで一瞬なのにね。なんで歩いてるんでしょ。
さてそろそろ6時間経過。
やっぱり橋の上っていいな。川の流れる音とか香りとか全部楽しめる。
さてここから先、ちょっとずつ余裕もなくなり、ほとんど写真を撮っておりません。まず出発から7時間半程度で半分の30kmを歩き切りました。道端の手すりというかガードレールというか、そこによりかかりながら休憩をはさんだりしてました。足の崩壊が始まろうとしてたのはこの辺だったはずです。あと気合と根性が必要になってくるので、精神力に自信の無い初心者はこの辺でやめとくのが身のため。
そして出発から9時間。この地点でぽつんと存在してたコンビニに寄り、トイレなど済ませました。ギリ座っても大丈夫な地点でトイレに寄れてよかった。ちなみにこの後10km以上コンビニその他店が無いとかいう嘘のような事態が発生してました。何も考えずにGoogleマップに従うから…。ルート選択は大事ですね。足ですが、左足がずっと攣りそうな感じがしてました。あと足首も少しずつ崩壊し始めてました。
10時間経過したあたりで、右足のももに支障が出始めます。ペースダウンの兆しを見せている。ここで40km以上は進みましたが、自己暗示なしでは進めなくなってきます。周りに人がいないのをいいことに、ずっと「俺は歩ける俺は歩ける…」ってぶつぶつ言ってました。怖い人ですねぇ。ちなみに徒歩というのは足だけが死ぬ感じなので、息切れするとか上半身が疲れるとかってことはないです。
出発から11時間たったころには完全にペースが落ちてました。普通に歩こうものなら左足は攣りそうだし右のももは痛いし自分の体を支えるのも限界だし。てすりとかに寄りかかって休憩するのもしんどくなってきます。あと海沿いでそこそこ風も吹いてて、踏ん張るのにも力を使います。
出発から12時間経ったころには休憩が「寄りかかる」から「立ち止まる」になってました。コンビニとか言ってたあたりからしばらくまっすぐ歩いていたのですが、チェックポイントにしてた「震災遺構中浜小学校」にようやくたどり着きました。
8km先とか書いてたあの建物がやっと目の前に!という感じでしたね。ちなみに中に入る余裕なんてあるわけがなかったので横目に通り過ぎるだけでした。
そして出発から12時間半。ひとまず1単位となっていた50kmを歩き切りました!一種の達成感に包まれましたが、まだゴールは遠い。ここでずっとまっすぐ歩いていた県道38号線とお別れです。長かった。
この辺で空が暗くなってきました。そして県道38号線を横にそれるとそこには砂利道が。しかも前日は雨だったので水たまりもあります。さらにそんな道に街頭とかの類はあるわけがない。精神崩壊するには十分すぎますねこれ。何とか水たまりをよけながら砂利道を進みますが、抜けた先の舗装道路&街頭で涙が出てきました。この時点で出発から13時間。
14時間経過したころには完全に精神崩壊してました。自己暗示もクソもない。50kmも60kmもそんなに変わらんやろ、そう言ってた出発前の自分を殴りたくもなりましたが、意地でもエスケープしたくなかったので無心で足を動かしてました。この当たりから向かってくる車のライトや小さな段差にもキレ始めてました。つまづくたびに叫んでたんじゃないかな。近隣住民の方々ごめんよ、とは思っている。
出発から15時間でついに相馬市に入りました。いや本当に長かった。
微妙に精神回復した気もしましたが幻想だったかな。さてここから4km程度先に目的地の温泉があります。ちなみにこの1km前に最後のエスケープ地点の駅がありましたが、意地で通過しました。ここまで歩いたら5kmくらい余裕だろ!うおおおおおお!って言いながらね。
出発から15時間半。目的地まで残り2kmを切りました。そう、仙台高専に寄り道してなければこの時間で到着してたんですね。まあそんなことをぼやいても仕方がないので何とか足を進めます。街灯も無いような道路が続いていたので相変わらず車のライトや段差にキレ散らかしながら…。
そして出発から16時間。ついに…
目的地に到着しました!達成感が本当にすごかった。あと営業時間内に着けてよかった。50km地点でみんなからお疲れ様というリプライをいただいていましたが、ここに着くまでは絶対に反応しないと決めていたのでここでようやくリプ返とかしてましたね。
入る時に靴を脱ぐわけですが、まずここで一苦労。足の裏が靴擦れ起こしてたりそもそも足首が死んでたりするので、普通に靴脱ぐだけでも通常の3倍以上は時間がかかったんじゃないでしょうか。そして死にそうになりながら何とか受付。あの状態ですぐに浴槽に向かうことが出来そうになかったので、すぐそばの休憩所の椅子で20分くらい休憩してました。
そしてちょっと回復したところでお風呂に向かいます。バリアフリーっていいね。しっかり手すりを利用して歩きました。なくても歩けたかもしれないけど、手すりのおかげでかなり楽に歩けました。
さてついにお風呂へ。これが本当に気持ち良い。普通に温泉に入るよりも何倍もね。しかも入ってゆっくりした瞬間の達成感。今までの60km徒歩は無駄じゃなかったんだ、そう思えました。文才が無いので伝わらないけどもう本当にすごかった。それまで崩壊していた精神も一気に回復しました。いや温泉ってすごい。
さてここからは帰宅フェイズです。さすがに電車です。もう歩く自信が無かったので駅までタクシーを使おうと思いましたが、自分が使っていたアプリ(初乗り無料クーポンを持っていた)では対象範囲外の地域でした…。仙台が都会すぎるだけか。別にタクシー呼んだらお金もかかるので、1kmくらい駅までさらに歩きました。温泉の閉店時間から終電まで余裕があって本当に良かった。終電には間に合いましたが、普通に1km歩いたらこんなにかからんやろ、というくらい時間がかかりましたね。
これだけの距離を歩いたんですねぇ。我ながらノリと勢いって怖い。
ちなみに朝のパン以降何も食べずに歩き切りました。まあそのおかげで脇腹が痛くなったりというのはありませんでしたね。あと最後最寄駅から自宅までにちょっと急なアップダウンがあるのですが、もう本当にラスボスでした。電車で座った時に両足ともももが死んだので、さすがにもう歩きたくなかったですね()
何やかんや無事帰宅しましたが、次の日はもう歩けませんでした()一応学校があったのですが、コロナ禍でハイブリッド授業なのをいいことに登校しませんでした。ベッドから立つのにも一苦労なもので。それでもバイトには行きましたが、下り階段死すべしってなってました。
その次の日にももは完全回復しました。が、今度はふくらはぎが死んでました。まあまあ、筋肉痛が次の日とかに来るのは若い証拠…。
さらにその次の日には大体普通に歩けるようになってました。てことでノリと勢いで長距離徒歩するなら後ろ2日は歩けなくなると思った方が良い。
以上、60km徒歩レポートでした。マジで訓練なしに歩く距離じゃない。この経験から徒歩を始める人にアドバイスするなら以下の通りですかね。
・慣れてない人は30,40kmくらいにしておけ。それ以上はどうなっても知らん。
・靴擦れはディスアドになるのでぴったりな靴を使え。
・ズボンは歩いてて痒くならないものを履け。
・歩く道にコンビニとかあることは確認しておけ。トイレが無いのは詰む。
・精神崩壊するまで歩くな。無理するな。
・懐中電灯くらいは装備していけ。街灯を期待するな。
・1kmは誤差じゃない。車の感覚で距離を測ると死ぬ。
・だから50kmと60kmは全然違う
・アップダウンが少ない道にしておくべき。今回はおかげで歩き切れたまである。
・エスケープ手段のある道を通るべき。例えば山奥で歩けなくなったらどうしようもない。
無謀なことはするな。この一言に尽きますが、まあそんなこと言われてもやりたい人はやっちゃいますよね。実際僕が60km歩けてしまったわけですし。
ただ、達成感はすごいので徒歩に興味を持ったそこのあなたは是非歩いてみてはいかがでしょうか。ちなみにこの記事を書いている僕はすでに喉元過ぎて暑さを忘れかけているのでまた歩いてもいいかなーって思ってます。
5000文字弱…レポートかよ
何をやっても続かない人間がブログを始めるとどうなる?(答えは自明であるが)
やあ諸君。私は最強の高専生だった雑魚スライム、SRMだ。怪しい者ではない。
この書き出しは僕の代表的な黒歴史、「メール先輩」のメールの書出しをパロったものである。もうとりあえず自己紹介で使うなら汎用性が高くてそのままにしてしまっている。怪しい者ではないと言っているが、この一言を余計につけているせいで怪しさを増しているような気がする。
ということではてなブログ開設しました。自分のホームページにブログ載せていこうとしてた時期もあったのですが、メモ帳プログラミングには限界がありました。どこに何書いてるか分からんし()あと一時アメブロやろうとしてた時期もありましたがなんか書いた記事が黒歴史そのものになってた気がします。続きませんでした。
そんな僕がなぜはてなブログを開設したのか。理由は簡単、流行には乗るタイプだからです。僕はTwitterをやっているのですが、はてなブログやってる人を割と見かけます(そんな気がする)。ということで僕も開設しちゃおうかなと。安直ですね。
このブログは表の僕をありのままに出していきます。普通にTwitterで公開するつもりだし。ちょっと長い僕のツイートだとでも思っていただければね。誰にも見られなくても僕は書けば自己満足で終わることも多い人間なので。
さてそろそろこの記事を終わらせたいのですが、結びの言葉が見つかりません。まあいいや、強制終了で。今日はここまで。さようなら。第二回の記事がいつになるかは分かりません。